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2巡目 7回目 08'7月16日〜18日 |
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2008年7月16日(水)
3日間すごい晴天!と、1日前まで、予報で出てたのに、松山へ向かう「しおかぜ」の中で、iチャンネルを見たら、17日・18日と雨!台風が近づいて来ていたのです。
前回、宇和島駅から乗ったタクシーで、ものすごくイヤな思いをしたのですが、今回、会社を替え、丸の内タクシーさんにしたら、気分良く乗せてもらえました。
柏の「DE・あい・21」まで戻り、歩き始めます。気温は32℃晴天。10分で汗が噴き出して来ました。
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愛南町柏のDE・あい・21からスタートです。 |
7月13日に石鎚山に登頂し、頂上社で、白着にご朱印を、いただいた上に、祝詞をあげていただきました。道中の安全を願い、とても心強いです。
915メートルの内海トンネル。前のデータを見ると「気が遠くなる」とありました。??たしかに、歩道が小さいけれど・・・と思っていたら、隣に歩行者用「内海ふれあいトンネル」がありました。でも、幅4メートル、誰一人いない、白いトンネルはたしかに気が遠くなりかけ、石鎚山のご真言をあげたり、メモを取ったりして、気を紛らわしました。 |
内海トンネルをすぎて、すばらしい大浜の海 |
その後、鳥越隧道、大場の鼻トンネル、嵐坂トンネルと続きます。嵐坂トンネル(371M)も、隣に歩行者用「風の通り道」がありました。ライトの消えている所があり、途中、暗く淋しかったです。でも出ると、なごみのポケットパーク「風園」があります。ボランティアの方々がトイレをお掃除して下さってます。トイレに向かい、心から頭を下げてきました。ありがとうございます。四国では、公衆トイレに多くの方々の遍路に対する善意が込められているのです。
<三好旅館>
三好旅館のおかみさんと。やさしさあふれる旅館です。
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ここから津島までの4キロが、いつも長い・・・。特に真冬と真夏は、冷たさ、暑さが身にしみます。津島で、三好旅館のおかみさんに会いに行きました。前に泊まった時、本当によくしていただきました。歩き遍路の気持ちをとても解って下さる優しいおかみさんです。おすすめの宿です。
でも、その後、1710Mの松尾トンネルが待っています。私は、いつもトンネルを通ります。毎回、通過に17、8分。20分もかかりません。景色を見られないので、黙々と歩いていると、「あっ!」という間です。左側の歩道が大きいので、必ず左側を歩いて下さい。このトンネルは、けっして悪くないと思います。今回は、宇和島駅のホテルクレメント徳島へ。お肉料理ばかりで、行のために10年間肉断ちしている私は、お魚料理にありつけず、ガックリ。。仕方なく、じゃこ天定食を。
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57号線。延々と山の中です。鳥越の集落にて。 |
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7月17日(木)
後方に見える鳥居が41番延光寺です。
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朝5:01に、ホテルを出たら、もう雨がパラパラ・・・。午前11時頃から降るはずでは!?でも、すぐ止んでくれました。暑さに強い私でも、15分後に汗が噴き出していました。56号線をずっと行きます。中畑休憩所をすぎると、吸殻拾いをしてくださっている町の女性に出逢いました。吸殻は、拾う人は、捨てないんですよね。捨てる人は、拾わない・・・。タバコだってゴミなのに。。。
三間町に入ってからずっと登り坂。50Hから、160Hまで一気に登ります。そうしてやっと7時3分前に41番龍光寺につきました。正面が稲荷神社でその下、左に本堂、右に大師堂があります。納経所では、ツアー会社の男性2人が沢山のお客さんの納経帳を持って、詰めていました。早くも順番待ち。大師堂の美しい孔雀明王様は、必見です!
へんろ表示に従ったら、お墓の中を通り、山越えされられると判り、早々に山を下り、41番に戻りました。再出発し、別のへんろ表示に従ったら、今度は、山の中にまた入り、ジメジメした気味悪い利近池の廻りをグルッと廻らされ、さらに、池を出ると、道と道との間に、へんろ標識があり、どっちの道を行けばいいか判らず、距離は長くなるし、さんざんな目に会いました。車の通る一般道を行く方が、ずっといいです。
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<42番佛木寺で。>
お寺につくと、ビーサンに履き替えます。足の休養になります。 |
42番佛木ぶつもくへは、8時12分に。
古い古い本堂と大師堂です。納経所にいらした僧侶が「最福寺で修行していました」と教えて下さいました。私の師匠、池口恵観大僧正のお寺です。毎日、3メールの炎の前で、火傷をしながら護摩行をされてたとは・・・頭が下がります。民宿とうべ屋をすぎると、すぐへんろ道へ入ります。前回、「きついのは最初だけ」と書かれた看板に誘われ、峠越えをしました。でも、きついのは、ずっとです。今回は、峠越えをやめて、歯長トンネルへ。トンネル内は、白いラインのみで段差なしの細い歩道。しかも、車がすれ違えない狭さで、ちょっとドキドキ・・・。でも、実は、トンネルの両入口で、車が中でぶつからないよう交通整理をして下さっているのです。 |
<歯長トンネル>
トンネルを出たら大雨。後ろが歯長トンネルです。 |
トンネルを出ると、大雨。モンベルのゴアテックスを着て、へんろ道へ。最初は、すごい急な石段で、滑りますが、すぐ快適な杉の木道に。でも、どしゃ降り!この道は、歯長峠経由のへんろ道と違い、楽です。淋しい峠越えは、2度とイヤ・・・
<43番明石寺>
台風の影響で猛暑と大雨が交互に。
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11:13に43番明石めいせき寺へ。団体へんろで、お寺は溢れていました。私が着くと、まもなく、42番で見かけた若い男性遍路が。山道の得意な私のあとをよく追いかけて来られたものと、びっくり!私と同じく、あと20キロ、大洲まで歩きたいとさわやかな笑顔を向けてくれました。
お寺から急坂を登り、宇和文化の里の遍路道へ。「おへんろ通り」は、倉敷の街を思い出させ、ステキです。43番を出発して1時間でまた大雨に。雨が降っても、暑さは少しも変わりません。
鳥坂峠の表示が出て来て、(そうか!鳥坂峠があったんだ・・・)と、ようやく思い出しました。鳥坂峠へのへんろ道は、国道の270H地点からわざわざ田畑のある平地に下り、そこから一気に、淋しく暗い山の中、470Hまで上がるのです。あのお山は、歯長峠より、もっとイヤ・・と 鳥坂トンネルへ。270Hから先、ほんの少し登るだけです。お寺のあるお山や、石鎚山など、神仏のいらっしゃるお山と、そうでないお山とは、気が全く違います。
トンネルへ向かう道は、雨が止み、猛暑になりました。1117Mと少し長いし、歩行者用段はありませんが、蛍光(反射)たすきを入り口で借りられます。それをかけると、まるでお守りのように、緊張が和らぎます。ありがとう!!車と対面する右側より、左側を歩く方が、車も歩行者も、準備心ができ、楽と思います。必死に歩いたせいか、トンネルを出ると、元気が出ました。トンネル内で、大洲市に入りますが、あとは、だらだら坂を下るのみ。とはいえ、足の疲労はピークに。札掛ポケットパークでは、14分も休んでしまいました。すると、今度は、雷の音が。急がなければ・・・。
肘川橋で大洲城を真横に観ながら、ときわ旅館へ。古いですが、凄く
親切で清掃の行き届いた旅館です。ここもおすすめです。バンドエイドやひえピタの入った「歩きへんろパック」をお接待で下さいました。今日は、47キロ歩きました。
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<歯長トンネル>
肘川橋から見た大洲城 小っちゃく中央に。 |
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7月18日(金)
午前3時30分。あまりに激しい雨の音で起こされましたが、4時半には止んでくれました。6時2分にときわ旅館を出発。今日は、44番に向け、とにかく歩くのみです。へんろ地図にいろんな距離数字が書いてあったため、内子までの距離を7キロも少なく見積もってしまい、大変でした。1時間半も違って来るのですから。
<十夜ヶ橋>
お大師様が橋の下で寝られて以来、橋の上を歩く時、遍路は杖をついてはいけないといわれています。
この十夜ヶ橋の下に、横になられているお大師様がいらっしゃいます。
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十夜ヶ橋は、お大師様が、その下で眠られたという橋です。ここから、橋のの上で杖をついては、いけないと、お遍路は言われるようになりました。橋を渡るのが申し訳ない気分で歩きますが、隣を車が次から次へとビュンビュン。現実と行場の境を歩いている不思議な気分です。新谷商店会のへんろ道から、国道へ出たところで、昨日の青年とバッタリ!大体、一期一会なんですが、また会えるなんて・・・!軽装の青年は、さわやかな笑顔を残し、私の先を急いで歩いて行きました。
五十崎)から、八日市街道のへんろ道を行こうとしたら、暗い山の中に入ると判り、戻って、国道へ。内子市街へ行く分岐点まで、ずっと、ミミズの死骸だらけでした。踏まないよう、目を凝らして歩きますが、途中、足を置く場所がないくらい一面のミミズで立ち止まってしまいました。昨日の大雨の後の猛暑のせいでしょう。それにしても、今日の暑いこと。最高気温33℃といいますが、影のないトコを今日は歩きっ放し。水分、塩分調整をしっかり考えないと・・・。
内子の「道の駅 フレッシュパークからり」には、自販機がありません。売店にある限られた飲み物で我慢するしかありません。ここから山の中へ入ります。今は、桃の時期で、あちこちで出荷準備をしています。自販機は道中、不自由しない距離にあります。私はいつも体が欲しがるモノを飲みます。それと、取りたくなくても、体のために「塩アメ」を時々なめるようにしています。しかし、激暑!足の裏がどうしてこんなに痛くなるんだろうと思ったら、道路が熱を持ってるんですね。異常に痛くて疲れるわけです。
<仏岩>
内子町・小田川の仏岩。
写真中央右よりに、仏様のお顔をした岩が見えます。
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小田川の仏岩は、上流からの川の流れが岩を削り、仏様の横顔を作ったそうです。鬼の手橋とか、興味深い所がいろいろあります。この道は、現在工事中。今年3月にできたばかりの梅津トンネルを越えると、まもなく379松山方面と380久万方面への別れ道。新しい道が増え、ずいぶん様子が変わりました。石山橋バス停の自販機横のベンチがありがたいの何のって・・・。でも、自販機の中は、クモが何匹も・・・。それから1時間、やっと小田の道の駅につきました。猛暑のせいで、私らしくない、ゆっくりスピードの遍路になり、少し不満が残ります。来月は、もっと暑そう・・・。
先月、プカプカになった右小指の爪が、帰宅後、ついに根本1ミリを残し、はがれました。
しぶとく、しがみついてる1ミリの爪のために、東京女子医大で治療してもらいました。あれから10日、今、うっすらと爪の赤ちゃんが誕生しました。回復力に我ながらびっくりです。 |
内子町の道の駅・小田「せせらぎ」
猛暑で、あと5K先の三嶋神社まで行くのを断念 |
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今回 歩いた距離 107.7Km |
2巡目 10回目 08'10月7日〜9日 |
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2008年10月7日(火)
<65番 三角寺本堂前>
お寺の女性に写していただきました。
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9:14 今にも雨が降りそうな中、
新居浜
で下りて、国道11号線冬木の交差点から歩き始めます。65番三角寺
27.2キロ。うち3.5キロが山の中の坂道です。あたりは、赤い彼岸花だらけ。その美しい彼岸花の近くに、必ず大きなクモが巣を張っているのは、どうしてでしょう?
11:12 延命寺で、いつものように休憩をさせてもらいます。お遍路さんが4人、ベンチにいらしたので、彼らが去ってから、ベンチを借り、ソイジョイを食べました。山でも、遍路でも、ソイジョイは、大活躍です。すぐに4人お遍路を追い越したのですが、どうも、歩き遍路の人々が持っている独特のさわやかさや、内から出てくる重みが感じられないのです。おかしいな・・・と思ってたら、後に三角寺で判明しました。
近くの伊予土居駅から伊予三島駅まで電車に乗り、タクシーで三角寺へ来られてた所に、歩いて登って来た私と出くわしてしまったのです。私のような「つなぎ遍路」でも、また「区切り打ち遍路」や、「通し打ち遍路」にしても、歩きには歩きの独特のオーラというか、においがあるようです。
10月に入ると、ホットドリンクをカラダが欲するようです。最近の遍路でのお気に入りは、リプトンのリモーネレモンティです、ベンチのあるファミリーマートで飲んでいたら、四国中央市商工会議所の方が2人、HPを見たと、11号線を追いかけて来て下さいました。お話してたら、雨が降り出し、あわてて出発。雨女の私は、毎回、雨に出逢ってしまいます。
65番三角寺へは、途中から、車の入れない遍路道に入ります。120Hから500Hまで、一気に上がりますが、登山好きな人が喜びそうなお山。悪くありません。途中、一ヵ所だけ、ジトジトして、気味悪い所がありますが、さすが、そこには、お地蔵様がいらして、しっかり守ってくださってます。
四国中央市定蓮寺の曽根義泉前ご住職と。
待ち伏せお接待に感激しました! |
76段の階段を上がると65番三角寺。三角の池には、弁天様がいらっしゃいます。いいお山道だったなぁ・・・と、心が暖かくなります。
宿泊先の一野屋旅館さんまで4.3キロ。まっすぐ下っていけばいいものを、なぜか途中で遍路道へ入ってしまい、とんでもない方へ出て、2.5キロも余分に歩くことになってしまいました。極力、遍路道を通らないようにしているのに、どうして、今日に限って・・・??やっと、山を下りて来たら、どこから私が歩いていると、ばれたのか、定蓮寺のご住職と、前ご住職が待ちぶせしていて下さり、びっくり!こういうサプライジングって本当に嬉しいです。
歩き遍路にとって、一番嬉しいお接待って、私は「声をかけて下さること」「挨拶をして下さること」と思っています。マスコミ報道により、誤解されがちですが、お菓子など、モノではありません。お声をかけていただくことによって、パワーをいただき、私たちは、それでまた元気に歩けるのですから。
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10月8日(水)
今日は、88ヵ寺で1番高い900Hの66番雲辺寺
に登ります。番外椿堂でお参りをし、トイレをお借りしてから先・・・66番まで、トイレはありません。あてにしていたコンビニのようなお店「水車」も閉まってました。192号線は、あまりにトラックが飛ばすので、帽子をやめて、手ぬぐいを頭に巻きました。これは、額に落ちてくる汗止めと、山の中にいっぱいあるクモの巣が頭に直接ひっかかるのを避けるのに便利です。
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<番外椿堂>
雲辺寺まで、唯一の安らぎの場所といえるかもしれません。 |
66番 雲辺寺へはこの高速のずっと下から、どんどん、どんどん登って行きます。 |
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<66番 雲辺寺ロープウェイ駅前>
ちょっと面白い県境です。
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遍路山道に入ってから、急な坂道が2.5キロ続きます。しんどくて、しんどくて、体力が落ちたな・・・と、ショックを受けていたのですが、35分で登ってしまっていたのです。山道が暗いから、早く早くと登って行ったら、ペースが早すぎて、それでしんどかったようです。
66番雲辺寺では自販機がありません。見事な五百羅漢を眺めながら急な坂を上がり、ロープウェイ駅まで行かないと飲み物はありません。でも、ここで買っておかないと、約6キロ自販機がありません。それで私は、アイスココアをがぶ飲みし、持ち歩き用にアミノサプリを買いました。ところが、延々と続く急な下り坂の山道の中、飲み物を飲もうとしたら、なんと、ない!!自販機で買ったものの、取り忘れたのです!!
絶対おすすめ!の「民宿 青空」をすぎ、観音寺市内を歩いていると、あちこちで、カマキリがチョロチョロと、車道を歩いています。一度、トラックの風圧に飛ばされた姿を見て以来、一匹一匹見つける度に、草むらの中に戻してあげるようにしました。フラフラのカマキリもいて、話かけていたら、涙がポロリ。生命の大切さを教えられました。
びっくりしました。去年、めいっぱいあった岩鍋池の水がカラカラになってたのです。水不足だ・・・。
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<66番 雲辺寺>
H880メートル地点 |
<67番 大興寺>
お寺に入ると、ビーサンに替えます。足が休まります。
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67番大興寺
の入り口の橋のまん前にタクシーが止まっていて道を塞いでいました。お客様が参拝中のようで、ドアを開けて運転手さんが待っています。が、通れないのを見てても車を動かしてくれません。雲辺寺に登り、10キロかかって下りて来て、これが現実。もっと人に心づかいをしようと、教えられました。
あと1時間53分。8.7キロ先の68番
神恵院、69番観音寺
に間に合うかも・・・と、予定を変更し、急いで出発しました。
前回、道を間違えたので、今回は、遍路標識を見逃さないように慎重に、でも急ぎました。
琴弾 公園を左に見ながら急ぎに急いで6分前。68番神恵院に到着しました。「ギリギリですみません」と言うと、納経所の方が、「いいえ。大丈夫ですよ」と、笑顔を向けて下さいました。68番と69番は、同じ敷地の中にあります。新しい建物の68番。古くて赤い建物の69番。いずれも、ステキな雰囲気のあるお寺です。17:00すぎても、参拝に来られる地元の人も多く、私も、ゆっくりお参りさせてもらいました。
この夜、宿泊した所は、部屋に遍路おやじの霊がいて、ずっと眠らせてもらえませんでした。でも、金剛杖をおやじの前に置き、「こっちに来ちゃダメ!」と言ったら、律儀にずっと正座をしたまま、近づいて来なかったのです。へんろ宿に霊は多いものですが、金剛杖に守っていただくという方法を試してみて下さい。
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<68番 神恵院
69番 観音寺の境内>
日暮れが早くなりました。 |
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10月9日(木)
70番へは、財田川添いの向こうと、こっちを歩く方法がありますが、前回、68側(向こう)を歩き、迷って、4キロ余分に歩いたので、今回は、反対側を。車も通らず、快適でした。 |
<70番 本山寺>
境内は、NHK撮影隊でごった返しでした。 |
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70番本山寺
のご本尊様は、馬頭観音様。これまで遍路をして来て、チョウやヘビ、カマキリ、その他の生き物が多勢、車にひかれて死んでいるのを見て来ました。その度、心が痛かったので、遍路で出逢った生き物たちの供養をここでさせていただきました。でも、境内では、NHKBSの撮影準備中。テレビ局の方々が、境内にわんさかといらしたので、すぐに出発しました。近くの店で、「宅配便お願いします」と、中へ入ったら、おばあちゃんにイヤな顔で「何送るの」と言われたので、私も鏡のつもりで「荷物」と、おばあちゃんのマネをして無愛想に答えてやりました。まだ人間ができてないと反省しつつも、最後まで、徹底してカンジ悪い女の芝居をし、楽しんでいる自分がいました。
<71番 弥谷寺>
納経所(大師堂)前の階段
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朝食ぬきだったので、71番弥谷寺
の下の「いやだに温泉ふれあいパークみの」の喫茶店タイムでモーニングを。ここのサラダがすごい美味でした。ミルクティーは、おかわりして二杯いただきました。
弥谷寺まで1キロが坂です。お寺に入ってからも、100段+236段+183段の階段を登って、やっと本堂へ。階段と坂続きの45番岩屋寺を思い出しました。納経所は、大師堂の中にあり、ここでは、お買物もでき、楽しいです。72番曼荼羅寺
への遍路道は、竹やぶです。ここは、ヘビが出ることで有名。京都の竹林と違い、竹が、やたらとぶっとくて無気味です。また、山から下りてすぐにある池の脇道も、ジメジメで草がボウボウ・・・。怖かったので、今回は、1.5キロ長くなるけれども一般道へ行きました。鳥坂峠まで坂道でしたが、竹やぶの気味悪さに比べたら、何でもありません。72番曼荼羅寺の山門に入ると、池の中にステキなフラワーアートが。古くて、こじんまりしたいいお寺です。
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72番 曼荼羅寺の池の中 |
73番出釈迦寺
まで、わずか500M。1.4キロ先の奥の院、
捨身ヶ嶽
では、お大師様が子供の頃、捨身の修行をされました。ご住職と副ご住職と3人で、捨身ヶ嶽へ行きました。荘厳・・・という言葉がピッタリ・・・。雲の上の仏様の世界のようでした。
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<73番 出釈迦寺の入り口>
後方の山は捨身ヶ嶽禅定 |
<73番 出釈迦寺>
奥の院で岡田賢城副ご住職と。 |
なんと、このあとカメラ紛失!
これから後の写真がありません。
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74番甲山寺
へもわずか2.2キロ。でも途中で、民家の裏の狭い道を通ります。ここに放し飼いの犬がいます。今回は飼い主らしき方が近くにいましたが、ケアはしてくれません。大人しい犬ですが、放し飼いの犬の横を通るのは、毎回怖いです。余計なことを一切しないで、ただ歩き去ることがよさそうです。
74番甲山寺から、またわずか1.6キロで、お大師様がお生まれになった場所、75番
善通寺
です。ここの売店のみで販売しているという「霊場茶」を買いました。広すぎて、左右どちらへ行ったらいいか迷ってしまいますから、大師堂は橋を渡る方と覚えておいて下さい。先に、橋を渡らない本堂の方へ行って下さい。納経は大師堂のある方です。ちょっと売店で遊びすぎました。気づいたら、あと48分。大急ぎで3.8キロ先の76番
金倉寺
に向かいます。逞しい仁王様の山門から入ると、ドーンと境内が開けています。納経所についたのは、17時5分前。ところが、納経所の方は、もう筆を洗ってらっしゃいました。イヤな目配せを納経所の方同志で、されてから、それでも納経をしてくださいました。が、帰る格好をして出入り口で、私が着いた時からすでに立っていた納経所の1人の男性が、「おつりなしで用意しときなよ」と、ビシャリと、私に言うので、(まだ5分前なのに・・・)と、ムッとしながら、「はい」と口先で言っておきました。なんとも気まずい、10回目の遍路の幕でした。
そういえば先日、車遍路で行ったお寺は、まだ16:30なのに、ろうそく立てと線香立てのお掃除をし終えてしまい、参拝者が次から次へと来るのに、ろうそくを立てられなかったことを思い出しました。何があろうと、受け入れることが遍路行なのでしょうけれども・・・。まだまだ、受け入れるのに、時間がかかることが時々あります。
来月はいよいよ87番までです。 |
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今回 歩いた距離 99Km |
2巡目 12回目 12/24(水) |
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2008年12月24日(水)
今年は、11月から冬が来たみたいに寒い遍路でした。「道の駅 長尾」から、すぐに歩き始めます。 88番
大窪寺
を打ってから、19.2キロ歩いて、10番切幡寺近くの旅館八幡まで、日暮れ前までに辿りつかなくては。旅館八幡は、手打ちうどん屋さんの旅館です。ここのうどんすきが本当に美味。毎回、打ち始めの初日と、お礼まいりに行く最終日に、泊まらせてもらいます。88番へ行く県道3号線は、歩道が途中から段がなくなり、白ラインだけになります。トラックと軽自動車が、ビュンビュン通る狭い道なので、トンネルの中を歩くような緊張感を伴います。いよいよ結願・・・。
でも、私は歩きながら、翌月から始める次の2泊3日つなぎ遍路のことばかり考えていました。大変な道のりの室戸岬や、足摺岬から、延光寺まで孤独と共に歩く三原村や、炎天下の山の中を延々と歩く大宝寺や、880Mの雲辺寺の暗い遍路山道のことを思い浮かべ、心を重く、緊張させていました。1400キロ歩けば、お行になるというお行はもう卒業。道も事情も判った、これからこそが本当のお行です。
空海さんは、この次、私に、どんな厳しいお行を与えようとされているのかしら? そんなことを考えていたら、女体山方面への新しい遍路標識が。この小ぎれいな標識に従って行くと、大きな困難が待っています。両手を地面につけてなくては登れなくなるという女体山遍路道へ行ってしまいます。私は行こうと思ったことさえないけれど。。。「これで最後だから」と、あえて女体山登りをするお遍路も多いとか。旅館&食事処の「竹屋敷」をすぎてから、遍路道へ入ります。前回、国道377号をずっと行ったのですが、遍路道の方が、低い所を行くので楽そうと思って、今回行ってみたら、最後に一気に登りつめなくてはいけませんでした。
そうして、ようやく結願寺・88番大窪寺に到着です。
クリスマスイブとあって、寺内は人が少なく、ひっそりとしていました。が、大師堂前に30代ぐらいのご夫婦と、小っちゃな子供3人が、いらっしゃいました。私が行くと、長男くん(おそらく小学一年生くらい)が、「あ!お遍路さんだ!」と、声をかけてくれました。よちよち歩きの3男くんは、私のことが気になって、“南無大師遍照金剛”と、父親に言われて、唱えている時も、私の方へ来たり、戻されたり・・・。
「あと○回・・・。お経が届いてないよ」と父親に言われ、ぎこちなく、「南無大師遍照金剛」と唱え続ける子供たちの純粋な声を聞きながら、手を合わせた途端、涙があふれて来ました。子供たちの声が心にしみ入ります。結願を迎えた私に、最高のプレゼントをお大師様からいただきました。 |
<88番大窪寺>
後ろの石柱には、「結願御礼」と書かれています。
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翌朝、12月25日、クリスマス。私は、旅館八幡から1番に向って最後の歩きをしました。途中、今日から打ち始めの新人お遍路に何人もすれ違います。「お遍路に会ったら挨拶して声をかけ合うのよ」ってことを教えてあげるという役割が、10番から1番に向ってお礼まいりに歩く先輩遍路にはあると、私は思っています。だから、新人さんに声をかけて行くのですが、今回なぜか男性も女性も、無視お遍路ばっかり!苦しみを味わい室戸岬に辿りつくまでには、そういう彼らも、きっと変わっているとは思いますが・・・。
2番極楽寺が近づいて来る。1番霊山寺まであと2キロちょっと・・と、思った時、1400キロ苦楽を共にした金剛杖(お大師様)が、愛しくて愛しくてたまらなくなり、私は泣きながら、両手で金剛杖を抱きしめ、歩いていました。金剛杖を持たないお遍路も多くいます。今回すれ違った新人お遍路も、3人に2人が持っていませんでした。何もかも自分のことを知っていてくれる金剛杖と、遍路中、苦楽を共にできないのは残念なことです。
1歩進む度に、金剛杖と味わった数々の思い出が頭に浮かびます。ほとんどが、苦しいことばかりですが、四国の皆さんにいただいた暖かな言葉の数々もよみがえります。「お遍路すると、何かいいことあるの?」よく人に問われることですが、私には、よく判りません。でも、そういうご利益狙いで始めたお遍路も、やがて、そういうことは考えなくなっていたという自分に気づくことでしょう。そうやって自分を見つめること・・・。それが空海さんがのおっしゃる「悟りを開くこと」への一歩一歩であると、私は思うのです。 |
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<88番大窪寺山門下>
すぐ隣に、「竹屋敷」のお店。ここでお接待して下さる”くず湯”の美味なこと!
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<1番霊山寺>
左へ行くと大師堂、後ろに本堂があります。
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2008年12月26日(金)
高野山は、雪で一面、真っ白に被われていました。奥の院へお礼まいりに行った後、新たな金剛杖に同伴してもらい、09’1月、また つなぎ歩き遍路を始めるご挨拶に、奥の院へと、再度行き直しました。円になるように・・・と、一巡目の時、88番から1番まで歩いてしまった私は、ようやく切れ目がないことに気がつきました。つまり、エンドレス。グルグルグルグルと、四国つなぎ遍路を私は、これからもずっとくり返して行くことでしょう。まるで、輪廻転生のように。。。ちなみに、車遍路の方は、88番で終わりにしました。が、やはり09‘1月から、逆打ち車遍路を始めています。
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<高野山大門>
すごい雪で、滑らないよう歩くのに精一杯。他に写真を撮る余裕もありませんでした。
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今回歩いた距離 63.3キロ |
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※「2泊3日つなぎ歩き遍路」は、すでに次の巡りを始めていますが、お行に専念したいので、一旦ここでお休みします。今後は、スペシャルなことのみ記して行きたいと思います。なお、遍路の詳しい情報については、KKベストセラーズのベスト新書から『四国八十八ヵ所つなぎ遍路』(7月8日発売)をご覧下さい。
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<4番大日寺>
納経所の皆様と。 09’1/13 |
雪山になった11番藤井寺から12番焼山寺への”へんろころがし”
まさしく、ころげ落ちそうでした。
09’1/14 |